Style: Paint Your White Canvas
Vol.05 上梨ライム「私が挑戦するその先に」
Fashion2020.10.15 Thu.
白いTシャツを身につけた表現者を撮影し、表現への思いについてインタビュー。そして、白いキャンバスに絵を描くようにして自らのスタイルをつくりあげていく彼ら・彼女らの声を、白T姿のスナップとあわせて紹介する。シリーズ第5回は、モデルでアフリカにルーツをもつ子どもたちの支援活動に携わる上梨ライム。黒人と日本人のハーフとして考える日本人らしさ、未来へのビジョンについて話を聞いた。
転機のひとつは雑誌の専属モデルになったこと
ナイジェリアで生まれ、生後6ヶ月頃に母と兄とともに日本へと帰国。母親の故郷である岐阜県で育った。内面はまったくの日本人なのに、自分のカーリーな毛質や肌の色から、周囲の友だちと自分は違うことを幼い頃から感じていた。
「小学生になると、外見がみんなと違うことや、保育園の頃に両親が離婚して母子家庭であったことから、いじめの対象になる不安を抱えていた私は実力で人気者でいようと人一倍工夫をしました。足が速そうとか歌がうまそうといわれたら、そのイメージに応えようと努力しましたし、常に笑顔でいようと心がけていました。言動やマナーにも気をつけて悪目立ちしないようにもしていたのですが、まわりから日本人として認められたいという思いがそうさせていたのだと思います」
中学に入って陸上を始めた。保育園の頃から徒競走で男子に負けることもなく、母方の祖母が陸上選手だったので、陸上部に入るのは自然な流れだった。100m、200m走からスタートし、全国大会に出場。高校3年で跳躍競技に転向し、三段跳で出場した全国大会で入賞を果たす。東京オリンピックに向けて日本代表を指導する大阪成蹊大学の瀧谷賢司監督から才能を買われてスカウトされ、大学で陸上競技を続けることを決めるが、競技を続けながらも過度のプレッシャーから潰瘍性大腸炎を発症してしまう。全国大会で一定の成績を収める以上の活躍をすることができず、大学4年を終えて現役引退することを決意した。
「陸上競技人生は決して楽な道のりではありませんでしたが、それでもなお続けてこられた理由は大きくふたつあります。ひとつ目は、学費の面において母子家庭で女手ひとりで3人の子どもを育てる母に負担をかけないためには、陸上競技を利用するのが一番の近道であったということ。高校、大学において、奨学金を得る対価として記録を出すことが私の仕事であり責任だと思っていました。そしてもうひとつとして、同じ境遇の子どもたちの存在がありました。全国大会で入賞はするものの、まだまだ無名だった私に対して黒人ハーフのキッズやその親御さんが、『ライムちゃんのようになりたい』とよく応援してくれたのです。その言葉はいまの私にとっても、一番のモチベーションとなっています」
幼少期に身近にロールモデルがいないことに違和感を感じ、そのような存在を求めていたライムにとって、子どもたちのロールモデルになることが夢であると語る。
“日本人”のイメージを多様化するために
「スポーツ界では大阪なおみ選手や八村塁選手など、アフリカにルーツをもちながら世界で活躍する日本人選手のおかげで、子どもたちにとって活躍の基盤ができました。しかし、ファッションやビューティーの業界においては、日本にまだそうした状況は生まれていないのが現状です」
エステティシャンである母親の影響で、幼いころからファッションやビューティーに対して興味があったライム。国内のビューティースタンダードに合わない自分をもどかしく感じていた彼女は、大学2年でファッション雑誌『GLITTER』の専属モデル募集を見かけ、「これを機会に、国内のハーフモデルの活躍の場を広げるきっかけになるのではないか」と考えて応募を決意する。陸上競技のことが頭をよぎりながらも、この機会を逃して後悔することを何よりも恐れ、オーディションのために夜行バスで東京を目指した。
選考を通過して『GLITTER』専属モデルとして契約し、東京と大阪を行き来しながらモデルと陸上、学業のいずれにも本気で取り組んだ。また、多忙な学生時代を過ごしながら、アフリカにルーツのある子どもたちの支援事業にも携わり続けてきた。特定非営利活動法人アフリカ日本協議会が主催するアフリカにルーツのある子どもたちの支援イベントに参加したことを機に、地元で開催されるアフリカンキッズクラブ東海において現在もボランティアスタッフの一員として活動している。
「悩みに対して共感してくれる人の存在は、本当に大きいと考えています。自分が経験してきたからこそ伝えられるメッセージがあるはずですし、子どもたちにとって、先輩ユースたちのたくましい背中を身近に感じ自分のルーツをより誇りに思ってほしい。しかし、実際には交流を通じてパワーをもらっているのは毎度私のほうなんです」
人種やジェンダーの縛りを超えて「日本人らしさ」のような固定観念は薄れ、「あるべき姿」は多様化しているものの、美の価値観はそこに追いつけていない。彼女はそこに一石を投じたいと意気込みを語る。
「大阪なおみ選手が全豪オープンで優勝したことで、あるコスメブランドから大阪なおみカラーのファンデーションが発売されたんです。そのとき私は衝撃と嬉しさで胸がいっぱいになり、即日買いに行ったことを覚えています。とくにビューティーの分野では美白訴求が主流で、褐色の肌の色に合うファンデーションは気軽に購入できるものではなかったため、大きな1歩だと感じました。モデルとしてファッションやビューティーの分野で活躍して海外にも発信することができれば、マイノリティの人々を含めた“日本人”のイメージの多様化につながるはずですし、マイノリティの子どもたちにとってのロールモデルになりたいという私の人生の大きな目標に近づくことができるはずです」
上梨ライム Kaminashi Raimu
ナイジェリアで生まれ、生後半年後に日本に移住。中学で陸上を始め、大学は陸上競技の強豪である大阪成蹊大学に進学。天皇杯やインカレなど全国大会に出場する傍ら、雑誌『Glitter』専属モデルとしても活動し、PUMAなどスポーツブランドのキャンペーン広告にも登場。2020年3月に大学を卒業し、IT企業で仕事をしながらモデルとしても活動を続けている。
@raimu.kaminashi_official
写真と文:中島良平